LOGIN「……またこれか」
エリオットが書斎に出入りするようになって二週間と少し。何度か魔王に書物を読み解いてもらったおかげで随分と魔物の書物を理解することができるようになり、そこで得た知識を活用し、早速様々な料理に挑戦していた。
今宵のメニューは満月の夜に収穫した野菜に月光草という花、干したカエルなどをふんだんに使ったスープは、魔物の疲労回復に良いとされていると本で見つけた料理の一つだ。見た目はおどろおどろしいが、ゼフによればかなり効き目は強いものだとも言う。
「今夜のは苦みがまろやかになるようにヤギの乳のチーズを入れてみました」
スープを前に顔をしかめている魔王にエリオットがそう説明をすると、魔王はうんざりといった様子でスプーンを手に取り掬い上げる。一応はひと|匙《さじ》掬ったそれを口元に運んで飲み込んではくれるものの、やはり表情は渋いままだ。
「……ゼフ、赤身肉のステーキを用意しろ」
「エリオット、いまいいか?」 魔王の背に乗ってヴェルクレイン国の様子を見に行った夜遅く、魔王が珍しくエリオットの部屋を訪ねてきた。もうそろそろ明かりを消して休もうとしていたエリオットは、魔王の珍しい来訪に目を丸くする。「ええ、大丈夫ですが……いかがされましたか?」 寝台に腰かけて書斎から持ち出した本を読んでいたエリオットは、それを枕元の台に置き、魔王に向き直る。 魔王もまたエリオットの隣に腰を下ろし、なにやら少し神妙な面持ちをしている。「お前、先程モルと何を話しておったのだ? 企みはないことはわかっておるが、何か良からぬことを吹き込まれてはおらぬか? お前のことだ、何か口の上手いあいつに騙されてはおらぬか?」 先程はモルの手前気丈に振る舞っていたのか、本心を言えば魔王とは言え不安がないわけではないのだろう。 しかしそれを正直に口にできるのであれば、いまこんな神妙な顔をしてエリオットを夜更けに尋ねてくることなどないだろう。出かけた帰りでも夕食時でもなく、いまになってそんなことを尋ねてくる辺り、いかに魔王が先程の件を気にかけて悩んでいたかが窺える。 エリオットとしては、先程のモルとの話は企みがないと答えた時点でまっさらになっているつもりだ。やましいことなどなく、魔王だけを信じているのだから。 とは言え、全く何もないといったところで魔王が信じてくれるとは思えない。そうであれば、いまの時分になって尋ねてくることなどないだろう。 だからエリオットは小さく苦笑し、「騙されてなどおりませんよ」と答える。「ただ少し、魔王様は愛想がないから大変だろうとだけは仰っていました。贈り物もしたことがないのか、って」 先程の会話とは多少違うが、モルから言われたことには間違いがない。愛想がないという話であれば毎度されている話題でもある。 その件に関しては魔王も否定できないのか、渋い顔をして「あ
「お気をつけて行ってらっしゃいませ、魔王様、エリオットさま」 ゼフに見送りの言葉にエリオットが微笑み、魔王が素早く姿を変える。 翌日の夕暮れ時、エリオットは竜化した魔王の背に乗りヴェルクレイン国の上空を旋回してくることになった。昼間でなく夕暮れ時になったのは、竜の姿を見てヴェルクレイン国の人々が騒ぎ立てることがないようにするためだ。不安定な情勢の国の上空に竜が現れたとなれば凶兆の前触れか、もしくは吉兆だとか、何にしても過剰に扱われてしまいかねないからというのもある。 支度を整えていざ出発となったその時、「おや、お出かけかな?」と、親しげな様子の声が聞こえる。振り返るとそこにはにこやかに微笑むモルが手を振って立っていた。『見ればわかるであろう。何用だ』 モルの登場に魔王の声が明らかに不機嫌に曇る。竜化した姿で睨み付けられれば怖気づきそうなものだが、そこは魔物同士であることに加えて付き合いが長いからか、意に介している様子はない。「そんな怖い顔をしないでおくれよ、アズ。一体どこに行くんだい?」『どこでだって貴様には関係なかろう』 苛立ちを隠さない魔王の口調を引き金に不穏さが生じやしないかと気を揉んだエリオットは、二人の間に割って入るように声を上げた。「そ、そうだ! モル様もご一緒にいかがですか? 私の母国の様子を見に行こうと思っていたところなんです」「ほう、それは面白そうじゃないか。是非ともご一緒させてもらいたいな」 エリオットの提案にモルが乗り気であることは明らかで、魔王には分が悪く思えたのか、ムスッと仏頂面になってしまう。『勝手にしろ。だがモルは自分で足はどうにかするんだぞ』 魔王が背に載せないと暗に言っても、モルは特に腹を立てることもなく、「承知しているよ」と言うに留める。 そうしてくるりとそ
屋敷にいる頃であっても、誰ひとりとして母親殺しと呼ばれているエリオットのことを可哀想にと称したことはなかった。 幼い時分であれば、憐れまれないことをさらに自分で哀れんだりして気持ちをなだめてはいた。だがもういまは十九になるのだから、自分の置かれた場所を理解できないわけではない。 それでも、先日モルに「可哀想に……」と言われたことがいつまでも頭から離れない。ただそれは優しくされた名残を味わうものではなく、見下された同情から覚えるモヤモヤした感情とも言えた。「……はぁ」「どうしたエリオット。食欲がないのか?」 モルにあんなことを言われて数日。あれからあの言葉とモルから向けられた眼差しが頭から離れないエリオットは、ため息と上の空が増えていた。 魔王から窺うように声をかけられて我に返り、エリオットは慌てて止めていた手を動かす。「い、いえ。なんでもありません。それより、今宵のスープはいかがですか?」「うむ……先日のよりも味が良くなっておるようだな。パンもなかなかだ」 そう言いながら魔王がひと掬いスープを口に運ぶ様子を見つめながら、エリオットはホッと息をつく。ようやくこの頃、落ち着いて魔王とそろって食事を取れるようになってきたのだ。いままでは気に入らなければ顔をしかめられる、突き返される、苦言を呈されることばかりだったのでこれはかなりの進歩と言える。 なにより、わかりにくくはあるが誉め言葉ともとれるような言葉も添えてくれるようになってきたのも、エリオットには嬉しい出来事と言えた。 しかし同時に先日のモルの言葉――魔王の子を孕めば殺されるという言葉が過ぎり、どうしても手が停まりがちになる。 ヴェルクレイン国の情勢を思えば、いずれ早いうちに魔王と儀式を行う、つまり交わらなければならないだろう。だがそれがエリオットには文字通り命がけの行為とも言えることを考えると、自ら話を切り出してよいものか迷いが生じてしまう。「魔王様、この所のお身体
「やあ、エリオット。元気にしていたかな?」 前回予告なしに訪問したことを咎められたからだろうか、モルは数日後ちゃんと先触れの便りを寄越した上で城を訪ねてきた。 エリオットはダイニングで書斎から持参した本を読んでいる最中で、そこに出迎えたらしいゼフも傍についてきたのだが、なんだか複雑そうな顔をして去って行った。「こんにちは、モル様。今日はどうされたんですか?」 魔王なら書斎にいると思うが、とエリオットが告げつつ案内しようとすると、「ああ、いいんだエリオット」と制してくる。 魔王の友人とも言える彼なのに、魔王に用事はないというような素振りをするのが不思議でエリオットがきょとんとしていると、モルは目の前に手のひらかを広げた。 するとそこには小さな花かごが現われ、咲きほころぶ花々と、その下には小さな焼き菓子が詰められているのが見える。思わずエリオットが小さく歓声を上げると、モルはそれを差し出してきた。「お気に召したようなら差し上げよう」「え、でも……よろしいんですか?」「なに、先日の無礼の詫びだと思って受け取っておくれ」 苦笑交じりにそう告げてくるモルにエリオットは微笑んでうなずき、早速受け取った花かごをじっと見入る。こんなに華やかな贈り物など、初めてかもしれない。「ありがとうございます。こんな素敵な贈り物、初めて頂きました」「おや、そうなのかい? なんだアズは贈り物の一つも君にしてないのか。全く無粋なやつだな」 呆れたようにため息をつきつつエリオットの向かいのソファーに座るモルは、相変わらず品の良い装いをしている。 魔王だって装いに品がないわけではないが、いかんせん黒ずくめが基本であるせいか、代わり映えがない姿に思えてしまうのだ。そういったところも、モルにしてみれば無粋だというのかもしれないが。「魔王様ならばい
結局、母国への手紙の件は、城に帰ってからの夕食の支度の忙しさを理由にうやむやになっていた。 しかしそれでもエリオットの中にヴェルクレイン国の現状に対する憂いは消えず、不安と心配が募っていく。 母親殺しと呼ばれ続け疎まれてきた自分に課せられたただ一つの王命を、もう嫁いで半年も経とうかというのに未だに果たせていないなんて思いもしなかった。自分では懸命にやれることはやっているつもりではあったが、それはやはりただの「つもり」でしかないということなのだろうか。 そんなことを悶々と考えつつ、今日もエリオットは書斎で書物を手に取る。ヴェルクレイン国の情勢が安定していないというのであれば、より魔王の魔力を強化する必要があるのではないだろうか。そのためには何か他に効果の高い方法があるのではないか、そう、考えているからだ。「魔力の最大化……うーん……やっぱり、魔王様とあの儀式を行うことが一番みたいだな……」 どの書物を読んでも、最終的に導き出されるのはあの儀式――魔王と睦み合う、性交をして相手が子を成すことで魔力が最大化するというものだった。 子を成すということは、やはり生贄嫁が必要であるのだろうが……エリオットは生憎男性である。子を成せる機能が体にあるとは思えない。「でもそれは、魔王様が最初にあった時に問題ないみたいに仰っていた気がする……それこそ儀式でどうにかするのかな……」 儀式の詳細は、ゼフに尋ねてもわからないと言われているし、そもそも書物に儀式のこと自体書かれていないのだ。魔力については魔王であってもその他の魔物であっても大差がないのか、書物から得た知識でどうにか対処出来てはきた。だが儀式については魔王だけが知る秘事なのか、まるでそれだけが抜け落ちたように見当たらないのだ。「となれば後は魔王様本人に聞くしかないけれど……教えて下さるかな……」 初日にあんな騒動になったせいか、なんとなく魔王に儀式について聞いていいものかためらってしまう。いやなこと
魔王は高い山の上にあるのだが、その周囲は城壁のように高い壁に囲まれている。更にその周辺には深い森が広がり、人はおろか他の生き物でさえも容易く近寄れる環境ではない。 だからなのか、城の城門を出て脇道に入ると、すぐに|藪《やぶ》に行き当たる。藪は複雑に枝葉を伸ばした樹々が生い茂り、まだ昼間であるのにその下に日はほとんど射していない。そのせいか周辺の空気は城内よりも幾分ひんやりしている気がした。「日が射してないからか、なんだかひんやりしますね」「それもあるだろうが……ほれ、見てみろ」 そう魔王に足元を指されて目をやると、エリオットと魔王の脚の間を何やら白濁の|靄《もや》のようなものが漂っている。靄よりも少し輪郭がはっきりしているそれは、まるで意思を持っているかのように、エリオットの脚に絡みついてくる。「え、な、なに!?」「じっとしておれ、エリオット」 靄に絡まれ戸惑うエリオットに、魔王は動くなと言ったかと思うと、さぁっと手を靄の上をなぞるように払う。 するとどうだろう。靄はまるで魔王の手に吸い込まれるように消えてしまったのだ。 まるで奇術でも見せられたかのような事態にエリオットがポカンと呆けていると、魔王は更にまた新たに絡まってきた靄にも手をかざし、吸いこんでしまった。「ま、魔王様……いま、何をされたんですか?」「瘴気を取り込んだ。お前が先程申していたであろう、魔力増強には瘴気を取り込むのが一番だと」「ええ、そうですけど……いまのがそうなんですか?」「ああ。瘴気は人間が長く充てられると病を得たり正気を失くしたりすると言われておる。さっさと処分するに限る」「そうなんですね……。ありがとうございます、助かりました」「……べつに、造作ないことだ」 エリオットがホッと安堵しながら礼を言うと、魔王はふいっと顔を背け、またエリオットの手を引いて歩きだす。一瞬、







